A級戦争裁判(東京裁判)関係歴史年表

1945年(昭和20年) 7月26日 ポツダム宣言発表。
8月14日 御前会議でポツダム宣言受諾を決定。
8月15日 終戦、日本が無条件降伏。
9月2日 米艦ミズーリ号上にて日本全権・重光葵らが降伏文書に調印。
9月11日 連合国総司令部(GHQ)が東条英機ら三十九人の戦争犯罪人の逮捕を発令、横浜刑務所に収容。
10月5日 戦犯容疑者は、横浜刑務所から大森捕虜収容所に移る。
11月14日 米軍は東京拘置所を接収、巣鴨プリズンを開設、戦犯容疑者は大森捕虜収容所より移る。
12月1日 A級戦犯容疑者五十九名発令(梨本宮守正含む)巣鴨プリズンに収容。
12月16日 A級戦犯容疑者に指名された近衛元首相自決。
1946年(昭和21年) 1月19日 極東国際軍事裁判所設立のマッカーサーの特別宣言、戦争犯罪人の審問、処罰のための裁判所設置を命令。
4月28日 A級戦犯容疑者二十八名と起訴状発表。
5月3日 市ヶ谷旧陸軍士官学校大講堂に設けられた特別法廷で東京裁判開廷、四十八年四月十六日まで二年間にわたって審理が行われた。
1948年(昭和23年) 4月16日 東京裁判審理終る。
8月下旬 巣鴨プリズン刑場に絞首台が新設される。
11月12日 東京裁判結審。
12月23日 巣鴨プリズン刑場にて、絞首刑七名の死刑執行。七人の遺体は横浜久保大火葬場で火葬。
12月24日 A級戦犯容疑者十七名釈放、GHQは今後A級戦犯の裁判は行わない旨発表。
1960年(昭和35年) 8月16日 愛知県蒲郡三ヶ根山頂に七戦犯を弔う「殉国七士墓」建立。
1968年(昭和43年) 10月17日 靖国神社に刑死七柱、獄死七柱合祀。