英霊追悼式にお参りして 東森 宏


高野山教報 平成十六年四月二十九日に、昭和殉難者法務死英霊追悼式年次法要が、高野山奥の院に祀られた追悼碑前で厳かに執り行われました。私もお招きいただき、参詣の機会を得ましたことは大きな喜びでありました。厚くお礼を申し上げます。

 あの日、祭主やご関係の皆様方の一途に大成功を願われたお気持ちが天に達したかのように、朝から雲一つない、それこそ文字通りの日本晴れとなり、燦燦と輝く太陽は、高野山の冷気の中で緑に映え、それはそれは素晴らしい景色を持ったお天気の良い日でございました。

 法要が厳粛に進められるなか、築野政次祭主の祭文はとりわけ格調高く、居ならぶ多くの出席者に多大の感銘を与えました。そして、自ら裁判の容疑者としてフィリピン・マニラ・カンルバン捕虜収容所に収容され、苦難を一つにされたことを述べられ、裁判がいかに不当なものであり、かつ理不尽なものであったかを言外に語られていました。また、戦後、日本経済が驚異の発展をしたことについては、ご英霊の加護によるところが大きいと報告され、英霊に守られて育った二世、三世が今や祖国再建の中心になって努力しておられることを賞で、そして英霊の菩提を弔うことは、われわれすべての日本人にとっての責務であると諭されています。

 日本が大東亜戦争に敗れたあと、連合国側はいち早く昭和二十一年に、関係十一ヶ国が共同して「極東国際軍事裁判」(通称・東京裁判)を開廷いたしました。連合国の戦後処理作業の中で最も重要な部分をなしており、作業の内容は、敗戦国日本が昭和三年以降、アジア・太平洋地域でとった国家行動を一連の大いなる犯罪行為として、戦勝国の立場から裁き、断罪するというものでありました。

 しかし、その内容は先にも述べたように極めて一方的なものであり、例えば連合国側のインド代表として東京裁判に出席していたパール判事は、「東京裁判は裁判にあらず、復讐の儀式にすぎない。」と、その不当性を訴え、強く非難しました。また、日本人被告の弁護人をつとめたアメリカ人からは、アメリカが広島、長崎に原子爆弾を投下して一般市民を多数殺害したこと、また、ソ連による在満州の日本人、数十万人の不当抑留事件、これは人道の罪、平和への罪にかんがみてどう説明するのか、との反対尋問が提出されましたが、「本法廷は日本の罪状を裁く場であって、アメリカやソ連を裁く場ではない」の一言で片付けられる始末でした。にもかかわらず、東京裁判の判決として、昭和三年以降の日本の戦争はすべて侵略戦争と決めつけられ、南京では三十万人とも四十万人とも言われる中国人を虐殺したとされ、その他無数の無実の罪を日本人に被らせました。それが鳴物入りで開かれた東京裁判の実態であります。インド代表パール博士は自らの東京裁判判事としての意見書の結びに、次の一文を掲載して東京裁判無罪論を展開しておられます。

『時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽から、その仮面をはぎ取った暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。』

 
 一般に歴史といわれるもの、特に国の根幹にかかわるような出来事については、少なくとも五十年以上の歳月が経たないと、歴史学の対象にはなりえないといわれております。史料の開示も含めて、当事者の影響力が強い間は偏見を防ぎえない、ということでありましょう。さきの大戦が終わってから、今年は五十九年目であります。六十年から七十年経って、今までとは大きく異なった見方、歴史観が生まれることはよくあることだと言われます。しかし何もしないで手を拱いていて変わることはありません。築野政次祭主は平成六年五月に英霊の追悼碑を建立され、翌七年四月に法務死刻名碑除幕式及び開眼法要を営まれました。英霊を悼み、ご冥福を祈るのはもちろんですが、併せて大切なことは、英霊の志を継ぐことでありましょう。近時、教育界などに見られるように、日本文化を大切にしよう、愛国心を育てよう、など世の動きはかなり変わってきております。私は今にして築野祭主の迸るような憂国の情が、英霊を弔い、そして世の中を変える大きな原動力になっていることを悟りました。追悼碑を原点とし、パール博士のいう、偏見を和らげ、正義の女神が早く適正な評価を下すように、願いたいと思います。

 今年の追悼法要には、今一つ特筆すべき大きなイベントがございました。それは、山口のりこさんのフラメンコ舞踊の奉納であります。山口さんは、最愛のお父上を戦後の残念な裁判により、東カリマンタンで失われた方であります。その鎮魂の舞、ことに慰霊碑の前での奉納には、父上へのつきせぬ想い、世界平和への強い願いが、山口さんの全身全霊で具現され、フラメンコの舞だけでなく、英霊と呼応する魂からの叫びが、観る人に強い感銘を与えました。追悼法要に深みと拡がりをもたらしたものと確信いたします。

(平成16年4月29日)


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